ザ・ノンフィクションの衝撃 「人殺しの息子と呼ばれて…」
日曜日の午後2時から3時の1時間、フジテレビで放送される「ザ・ノンフィクション」。
普段関わらないようないろんな人の人生を見ることができ、知らない世界を見せてもらい、この時間に家にいると、たいてい目が離せなくなり興味深く見てしまいます。
本日の放送は、群を抜いて衝撃的すぎました。タイトルも書くことをはばかられるほど。
今回の主人公は、殺人犯の子供でした。
といってももう成人しているかたです。
実は前回からの続編だったのですね。
私は前編を見ていなかったのですが、この1時間で本当に見ていていろんな気持ちがわきました。ここには書けないくらい様々。
ただ、1番感じたのは彼が「強く生きてる」ということです。
負の連鎖を生まずに、ここで自分でストップさせるよう、一生懸命努力されてる。
そして、どんな環境でも腐ることなく、諦めることなく、強く生きている。
すごいことだと思いました。
昔学校で、現代の貧困と言うテーマを扱ったことがあります。
一見裕福に見える日本でも、貧困の事実があり、一度そこに身を置いてしまうと、それは連鎖していくということ。負の連鎖から抜け出すのはとても難しいということ。そのために、まずは現実を理解し、社会保障や仕組みで解決していこうということだったと記憶しています。
彼も、両親が刑務所に拘留され、親戚を失い、小さい頃は施設で育ちました。
しかし大人になると自立しなければいけない。そのためには仕事が必要。
でも保証人がいない。
仕事ができないと定住する場所もない。
しかし定住する場所がないと新しい職に就くのも難しい。
周りの人は当たり前のように普通の暮らしができているのに、自分がたまたま犯罪者の間に生まれてきた子供だから、普通の生活すらままならないのかと。
彼はもがきながら絶望しながら、それでも諦めずに生きてきた。
そして定職に就けた彼は今、自分が生きていくことだけでなく、殺人犯の血が流れていることに悩みながらも、籍を入れることで(自分の扶養に入れてなんとかしてあげたいという思いで)1人の女性を守りながら生きている。
彼の強さは、あきらめないところにあると感じます。
自分の人生をあきらめない事もそうですが、両親に対しての思いも、まだ向き合いたい気持ちが感じられました。
放送では、親が凶悪犯であること、自身も幼い頃に虐待されていたこともあり、両親を許せない気持ちを吐露していました。
母も許せないとしながらも、もらった手紙をとってあること、面会にも20回ほど行って母の真意を確かめに行っている行動から推測するに、彼は放棄していないんです。
やはりそこは、顕在意識では許せないと思っているけれども、潜在的には実の母への捨てきれない愛情というのを本人も感じているんだと思います。そして諦めていないのだと思います。
番組出演もそうだと思います。
そもそもなぜこのような企画のオファーを受けたのか、気になりました。
すると、6月ごろに放送された別番組で、当時両親が犯した事件が取り上げられたことにより、自分の生活が乱れて困っているということをテレビ局に直接本人自身で抗議の電話をしたという経緯があったそうです。
もし今まで穏やかに過ごしていたとして、その放送により穏やかな生活がままならなくなったクレームだとすると、
再度番組に取り上げること、しかも本人が出演することは余計反響が出ることは想像にやさしく、矛盾しているのでは?と感じました。
だから、本人の望みは、静かな生活を取り戻すことではなく、過去と自分と環境に向き合い、今後自分らしく生きていくためのきっかけにしたかったのだと勝手に推測してしまいました。
顔こそ映されていないものの、声も肉声だそうですし、体の一部も映っています。
どれだけリスクがあることでしょう。
本当に、覚悟の出演だったと思います。
強いなぁ。
彼には、今後は少しでも心安らかに幸せに生きていってほしいと強く思いました。
最後に。
いろいろ書きましたが、「ザ・ノンフィクション」と言うタイトルではありますが、編集あってのあくまでテレビ番組であるということは意識しています。
私は真に受けやすい人間なので、100%見たものが真実だと断定しないように、そこは注意しながらテレビは見るようにしています。
だから、こういうノンフィクションを謳っている番組では、そここら何を自分は感じ、どうそれを活かしていくかを考えるようにしています。
まとめると薄っぺらくなってしまう気がしますのでそれは割愛。
今回は、闇と光を見ました。
興味がある方は、こちらフジテレビの「人殺しの息子と呼ばれて…」勇気ある告白に反響 - ライブドアニュースに放送の経緯など、放送側の記事もあります。