謎の「もったいない」精神 / 本当は違う。
お目当のお店があるのに、1番先に目的地へ向かわない。それまでにいろいろ他のお店を覗いちゃう。私の不可解な癖です。
なんだか早々に目的地に行っちゃうのが「もったいない」と感じてる。
自分でも「なにその謎のもったいないって。遠回りしてる時間の方がもったいないでしょ。何をそんなにもったいぶってるの?」「本当に欲しいものに早くたどり着きなさいよ」って思います。
「欲しいもの」にあえて遠回りをしてわくわく感を高めてる??
比較検討して他のものと比べても、やっぱり良かったと思ってから買いたいのかな?
でも買うときだけじゃないんだよなぁ。
使うときも、もったいぶるんです。
例えば洋服。
お気に入りの服は値段の高い・安いに関わらず、わりと勝負日に着ようと思って、温存傾向にある。
無数にあるハンカチも、職場に持っていくのは、もったいなくないように一番お気に入りでないのを選んでいる。気にせず使えるように。汚れてもショックが少ないように。
「これは他の服よりも高級だから、今日じゃないか」とか「買ってすぐ着ちゃうのはなんかもったいないからとっとこう」とすぐ着ずに温存している間に、
おニューだったものもいつしか他の人も街でいっぱい着だして
「え、なんか自分も流行に乗って買った感じにみえたら嫌だ」とか「周りとかぶるようになってきたから」という理由で、結局気に入って買って新品なのに今期着られなかった服が少なくとも2着ある。我ながらバカげてる!
最初の「謎のもったいない」思考が結局本当にもったいない状態な結果を生んでいる!
うーん、なんてこと。「謎のもったいない」精神は上手にお別れしたい。
そんなとき、昨日よんだ『僕たちに、もうモノは必要ない。』にて、喜びの気持ちはそんなに長持ちしないということが書いてあった。
喜び→慣れ→飽き 。
飽きるからまた次の喜びを探してしまう。延々と繰り返し。
これだとものが増えてしまう。
そこでものを増やしたくない私は、お気にいりを あまり日常に溶け込ませない、目に触れにくい状態にしておくことで、高揚感を薄めにくくしようと思ったのではないか。「謎のもったいない」気持ちの誕生。
慣れたくない、飽きたくない。
いつまでも見つけたときの、買ったときの特別感・お気に入り感をそれに感じ続けたいための防衛策だったんだ。
例えるなら、真空パック。
風化しやすい「ときめき」を、真空パックに入れて鮮度を保ちたい、みたいな。
一方で、厄介なことに「まだ使えるーのMOTTAINAIオバケ」も私の中に共存していることがややこしい。
まずは、数が多すぎな下着からメスを入れていこう。